Samurai Baroque Project
いよいよ明日!
旗揚げ公演‼
『テレマンの宴』
バロック音楽アンサンブルコンサート♪
会場:ソノリウム
そこで、「ソノリウム」について少しお話をさせていただきます。
そして、嬉しいことにこのたび「東京新聞」様が縦笛侍こと伊藤粒太氏の記事を新聞掲載して
いただきました!
2024年2月14日(水)朝刊 したまち版・都内版・山手版に掲載され
東京中に旋風を巻き起こしました!
有り難いことです♪
「東京新聞」様に感謝申し上げます。
何故、伊藤粒太氏が34年ぶりに音楽活動を再開したのか?
その理由とは。。。新聞記事では本人の電話インタビューをして掲載になっていますが
日本の現在の社会情勢からより報道的な視点で彼の主観も交えながら
クールに表現されている感じがいたしました。
もう一つの理由は、「オランダ留学時代」の出来事がありました。
伊藤粒太氏は私立麻布高校3年生の頃、空間プロデュース業を手掛ける会社を経営する
父親「伊藤 隆康」氏が肝がんの為死亡したのです。
伊藤隆康氏は東京藝術大学油絵科卒の造形作家で名声を博しており、
1970年「大阪万博」では若手プロデューサーとして起用され
あの芸術は爆発だ!「太陽の塔」で一世風靡した芸術家「岡本太郎」氏や
建築設計士の「丹下健三」氏のサポート役を務め伊藤隆康氏もメインテーマ館の
プロデュースをいたしました。
その父親が亡くなってしまったのです。
大学受験どころではなくなり、夫を亡くした母の精神的な病もあり
一人っ子の長男である伊藤粒太氏が父の亡き後の会社の整理なども
することになりとても大変な高校3年生となってしまったのです。
母・倫子も同じ東京藝術大学デザイン科卒で伊藤隆康氏とは学生結婚という
当時二人はセンスある芸術一家でありました。
母は息子にオランダ留学をすすめた。
母と粒太氏親子二人でオランダ語を習得しオランダに古楽留学で渡ったのです。
彼はオランダ留学で日本人が西洋音楽を奏でることに
違和感を覚えはじめました。
宗教も違う体格も違う
そして日本人はオランダでは一番にはなれない。
何故ならば。。。
[オランダ全土が感動した]皇后美智子さまとある少女のステキなエピソード - YouTube
彼のトラウマは人生の晩年まで心に突き刺さったままでした。
ようやく彼は「縦笛侍 伊藤粒太」として日本人が奏でる西洋音楽
なかんずく古楽演奏家として34年の沈黙を破り復帰いたします!
なぜ?縦笛侍っていうの?
なぜ?着物を着て演奏するの?
そんなお声も多いです。
その答えは、
バロック時代(17~18世紀)は日本では江戸時代でした。
縦笛侍 伊藤粒太氏は自分が日本人という誇りを持ち
戦争時の武器であった刀を縦笛に変えて
現在の凝り固まった社会やそこに生きる人間の
価値観をぶった切るが如く文明末期のこの世に出現したのです。
衣装提供:フォトグラファーATSUKO ITOのフォトアート着物ブランド
【PHOTO KIMONO A】#若松柄
明日のコンサート開催まで色々な方々のご支援を受けてまいりました。
お世話になりました皆様に感謝の思いで奏でます。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
心からご来場をお待ち申し上げます。
情報ページ
https://lasp-inc.jp/special/20230729204252/